ご由緒・ご祭神

ご由緒

和銅三年(710年)の年号及びそれ以前の記述の古文書はあるが、明確な創立年代は不詳。
社格は元県社、島根県神社庁特別神社。
上代は「出雲社」・「出雲神社」、中近世は「妙見社(大社・大明神)」、明治以降より「長浜神社」と呼ばれ、信仰されている。

ご祭神

長浜神社は、国引き神話では土地を引いてきた綱にあたる「薗の長濱」の地に鎮座し、国引きの神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神としてお祀りしています。八束水臣津野命は、出雲の国が狭いというので、次々とよその土地の余っている所を切り取り、綱をつけて海上はるかに引き寄せてきてしっかり繋ぎとめたと言われています。出雲現地では国土創造の神として昔から厚く遇されていました。

「国引き神話」

読み下し文

意宇と号る所以は、国引き坐しし八束水臣津野命詔りたまひしく「八雲立つ出雲の国は狭布の雅国なるかも。初国小く作れり。故、作り縫はな。」と詔りたまひて、「拷衾志羅紀の三埼を、国の余ありやとみれば、国の余あり」と詔りたまひて、童女の胸鉏取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別けて、三身の綱打ち挂けて、霜黒葛闇耶闇耶に、河船の毛曽呂毛曽呂に「国来、国来」と引き来縫へる国は、去豆の折絶よりして、八穂米支豆支の御埼なり。かくて堅め立てし加志は、石見国と出雲国の堺なる、名は佐比売山、是なり。亦、持ち引ける綱は、薗の長濱、是なり。(略〜同様に佐田の国・闇見の国・三穂の埼と計4回国引きする) 「今は国引き訖へつ」と詔りたまひて、意宇杜に御杖衝き立てて「意恵」と詔りたまひき。故、意宇と云ふ。

訳文

八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は「八雲立つ出雲の国は、少し小さく作ってしまった。作り足そう。」とおっしゃいました。最初に神は「朝鮮半島に余った土地があった。」と見つけて、鋭い鉏で魚のエラを一刀両断にたつように切り取り、三本綯いの太い綱を結び「国来い、国来い。」と掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくりと引き寄せて縫い合わせて行かれました。そうしてできた土地は、去豆の地溝帯から西の杵築の岬です。杭は出雲国と石見国の境にある三瓶山で、綱は薗の長浜(長浜神社のある海岸線)です。

次に「北方の佐伎の国に余った土地があった。」と見つけて、鋭い鉏で魚のエラを一刀両断にたつように切り取り、三本綯いの太い綱を結び「国来い、国来い。」と掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくりと引き寄せて縫い合わせて行かれました。そうしてできた土地は、多久の地溝帯から西の狭田の国です。

次に「北方の良波の国に余った土地があった。」と見つけて、鋭い鉏で魚のエラを一刀両断にたつように切り取り、三本綯いの太い綱を結び「国来い、国来い。」と掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくりと引き寄せて縫い合わせて行かれました。そうしてできた土地は、宇波の地溝帯より西の闇見の国です。

最後に「北陸の能登半島の珠洲の岬に余った土地があった。」と見つけて、鋭い鉏で魚のエラを一刀両断にたつように切り取り、三本綯いの太い綱を結び「国来い、国来い。」と掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくりと引き寄せて縫い合わせて行かれました。そうしてできた土地は、美保関です。綱は弓ヶ浜で、杭は伯耆国にある大山です。

こうして4回に及ぶ国土拡張で出雲の国は住みよい大きな国になりました。八束水臣津野命は、「おゑ」と国引き終了宣言をされ、意宇の杜に杖を衝き立てられました。
※意宇は、奈良時代に出雲国の国庁があった重要地で、現在の松江市の大庭地区のあたりです。

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